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「借金棒引き」の経済学 「借金棒引き」の経済学 −−現代の徳政令−−

 なぜ税金で「彼ら」だけを助けるのか?
「借金チャラの論理=徳政令」をキーワードに、歪んだ現代経済構造に切り込んだ、 怒りと再生の書。
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 それにしても納得がいかないことばかりではないか?
巨大銀行に公的資金を注入したと思ったら、ゼネコンや流通グループの巨額の負債は 「棒引き」にするという。金融ビッグバンが個人の「自己責任時代」の始まりというの に、国家規模では借金帳消しが許されていく。その根拠は一体何なのか。本書は 「理解しがたい」こうしたマクロ経済上の「借金棒引き」政策の本質を解明するために 研究されたものである。中世に始まる日本社会特有の『徳政令』構造こそが、我々の 「貧しさ」の根幹に横たわる大問題だったのである。


著 者: 北村 龍行(きたむら りゅうこう)
定 価: 本体¥680円+税
発行日: 2000年8月22日 1刷発行
発行所: 株式会社 集英社
 東京本部 〒101-8050 東京都千代田区一ツ橋2-5-10
        編集部 電話:03-3230-6391
        販売部 電話:03-3230-6393
        制作部 電話:03-3230-6080

著者紹介
1947年神奈川県生まれ。
横浜国立大学経済学部卒業。
毎日新聞社総合メディア事業局企画室委員。
毎日新聞社入社後、東京経済部を経て「エコノミスト」編集部に15年間在籍。
バブル経済の発生から崩壊、その後の長期不況を見届ける。
その間月刊「PLAYBOY」誌で「経済コラム」原君平のペンネームで 五年間連載、また「エコノミスト」誌に日本中世史を「日本の原景」として連載。
              
拾い読み
まえがきから
 峠を長い列車が越えていく。その列車はもう何年も、その峠を越え続けているのだ。しかし、 列車の前半分はとっくに峠を越え、勢いを増しながら下っているというのに、後ろ半分は登り 坂の途中で、少しも動いていないように見える。
 だから列車は、何年経っても峠を越えきることができない。
 なんという奇妙な光景だろう。進み続ける前半分と動かない後ろ半分。列車は、ゴムででき ているかのように、伸び続けているのだ。そして、峠の頂上の辺りで、細くなり続けている。
 驀進する前半分の車両から聞こえてくるのは、マーケットとかグローバル化、ITなどとい う聞き慣れない言葉だ。
一方、動かない後ろ半分の車両のなかから聞こえてくるのは「もっと国のお金を、借金は棒 引きに」という、虫のいい大合唱だ。
 後ろ半分の車両にはどんな乗客が乗っているのかと眺めてみると、はしゃぎすぎて疲れてし まった人とか、自分の体よりも大きな財布を抱えた人、「既得権益」「集票」などと書かれたバ ッジを光らせた団体さんなどが目立つ。
 なかには、金庫の番をしながら、その金庫に手を突っ込んでいる人たちもいる。しかし、そ の金庫をのぞいてみると、借用書がうずたかく積まれているばかり。
「もっとお金を」という大合唱がやむことはなさそうだが、どうやら、後ろ半分の車内は金づ まりで、もう宴を続けようにも続けられなくなっているようだ。
 気になるのは、虫メガネを持った一群の人々だ。峠をはるかに下った前半分の車両から、動 かない後ろ半分の車両まで、忙しく走りまわりながら「峠は越えた」とか、「もっとお金が必 要だ」などと叫びまわっている。
 しかし、列車の現状は、全体が峠を越えることはなく、ただ前半分と後ろ半分とが互いに遠 ざかり続けているばかりなのだ。
 もはや、列車全体と峠との位置関係を穿鑿しても、あまり意味はないのではないか。今後も、 後ろ半分の車両全体が峠を越えることはないだろう。一方、前半分の車両は、自分の勢いを制 御できなくなって脱線するのかもしれない。もともと、そこはまだレールも敷かれていない荒 野なのだ。
 それでも前半分は、荒野を引っ繰り返りながら、つまずきながら驀進し続けることだろう。 周囲を見渡せば、似たような列車が、やはりレールのない荒野を猛烈な勢いで突っ走っている のだ。
 気になるのは、長くなるばかりの列車の運命だ。いつか、峠の頂で列車はプツンと前と後ろ に切れてしまうのだろうか。

 わずか五年に満たないバブル経済と、その後の一〇年に及ぶ超長期不況を経た二〇〇〇年の 日本経済をみていると、そんな「峠の列車」を想像してしまう。

 実は現在の「借金棒引き」要求は、日本人には昔からなじみが深い。そう「徳政令」だ。  その昔、鎌倉幕府が全盛期をすぎて下り坂にかかったころから、時の為政者たちは徳政令と いう乱暴な布令をしばしば出すようになった。借りた金は返さなくてもいい、というのだ。
 貸した方にとっては、たまったものではない。このため、中世後半以降の借用書には、しば しば「たとえ徳政令が発布されても、この借用書だけは無効になりませんよ」という「徳政文 言」が書き込まれている。
 といって、すべての借金がチヤラになるわけではない。チヤラになるのは、幕府を支えた御 家人の借金だけ。最初の徳政令は、時の権力を支える人たちにのみ向けられた借金棒引き令だ った。
 中世は、応仁の乱を経て乱世に突入し、戦国時代をくぐらなければ近世にたどりつくことが できなかった。
 そして実は、たどりついた近世で、中世後半以降の日本社会がもっていた荒々しい独創の牙 を抜かれてしまうのだが、「峠の列車」になぞらえれば、列車の前半部で突っ走る人々のなか に中世後半以降の日本人に似た荒々しい面相が、列車の後半部の人々のなかに江戸時代以降の 他人任せの日本人の面相がうかがえるような気がする。
 どちらも、年月を重ねてきたこの社会の歴史のなかに、間違いなく存在した日本人で、片方 だけが本来の日本人というわけではない。
 しかし、状況は皮肉だ。徳政令は中世の現象だったのに、中世的な人々は今、徳政令を要求 せず、江戸時代的な人々が徳政令を要求している。
一体、何が起きているのだろう。
 長い年月、私たちは、外部から強力で多様な価値観を受け入れながらも、私たち自身を大き く見失うことはないと信じ込んでいたように感じる。
 けれども、父や母がいつまでも健在であると錯覚するように、故郷の山河がいつまでも昔ど おりに青々しいだろうと錯覚するように、自分自身はどこまでいっても日本の社会が育んでき た生命力のなかにくるまれていられると錯覚してしまうこともあるのではないか。
 社会から生命力が失われていれば、社会は子供たちを育むことはできない。そして社会の子 供たちは、かつてその社会がもっていた生命力を当てにすることができなくなってしまう。
 歴史学の教えるところによれば、もっとも「当たり前」のことこそが失われやすい。日常の 当たり前すぎる慣習や生活については誰も書き残さないし、日常用品は保存されることもなく 朽ちていく。
 そして社会の生命力とは、そうした失われやすい「当たり前」を積み重ねることでできあが っている。
 それぞれの社会がもつ生命力について、その構成者が意識することが少なければ、生命力を 形づくる「当たり前」は、無頓着に捨てさられていく。そして社会は、いつの間にか生命力を 失っていく。
 敗戦後の日本の最大の得意技であった経済で引っ繰り返り、まともに立ち上がれないままの 現在の日本人が、自信を失ったまま茫然としているのは、失われることはないと錯覚していた 日本社会の生命力が、すでに思いもかけないほど衰弱していたことに、突然、気がついたから ではないだろうか。
私たちの社会の生命力は健在なのだろうか。私たちの社会の生命力は、何に由来しているの か。
 現在につながる日本の社会の形は、実は江戸時代ではなく、中世の後期以降に多くを負って いる。
 多くの地名、姓名、この前まで残っていた年中行事、宗教、日本を代表する能や狂言、生け 花、茶、庭、刀や焼き物などの文化や工芸は、中世の後半以降に一気に高みに達している。  私たちが長い間、無意識のうちに支えられてきた日本の社会の生命力は、中世に源流をもつ のではないか。
 そこで本書では、日本社会の生命力の涼流を中世に求めつつ、現在の日本経済に顕著な徳政 状況を現在と中世をつなぐ糸として、これからの日本経済の生命力について考えてみたい。
 





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