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マエストロの会にて◆あなたは鬼になれるか◆


マエストロの会 2001年(平成13年)7月3日 梅谷忠洋in沖縄
 
「鬼」になれるか

 自分が研究し、自分のしたことについて信念が出てきた人は「鬼」になります。「鬼」社長がほんとうに少なくなりました。私は「鬼」社長と呼ばれる多くの方に会ってみたのですが、「鬼」社長ではなく、「ワンマン」に過ぎませんでした。「鬼」と「ワンマン」は似通っていて見分けにくいのです。
 今日はみなさんに「鬼になれ」というメッセージを送ろうと思います。
 辞書で調べても「鬼」には悪い意味といい意味とがあります。
 悪いのは死人の霊だとか想像上の怪物とか恐ろしい人とか借金取りのこととか書いてあります。いい意味では精根を傾ける人、あの人は仕事の鬼だなどと使う場合があります。おもしろいことに食物の毒味役を「鬼」といったそうです。元気のある者にも「鬼」というそうです。
 「鬼」は昔でいう「悪(わる)」に繋がるところがあります。昔「悪」というのはいわゆる「悪人」ではなく、強いという意味でした。ところが強い奴は悪いことをしてもうまくいくから、悪いことをやりだした、それで「悪」は悪いということになった。
 昔は強い男の子に育ってほしいと願い、「悪太郎」と名付けたりしたのです。「鬼」も非常に似た意味合いがあります。「鬼」になってほしいというところには「必死さ」をもってほしいという思いがこめられているのであって、けっして「恐ろしさ」ととってもらってはいけないと思います。
 みなさんも、えてして「鬼」にならずに「ワンマン」になってしまう可能性があります。昔は鬼武将、鬼刑事、鬼軍曹などいろいろな鬼が存在しました。今の日本は、「鬼」がいなくなってからおかしくなったのです。

鬼教師の存在

 鬼教師というのは、私にもいました。まず中学の時、鬼の代表、得津武史(とくつたけし)という先生でした。おかげで僕は日本一にしてもらったのです。高校の時は宇宿允人(うすきまさと)という先生です。その人も鬼でした。水をぶっ掛けるくらい屁とも思わない人でした。バイオリンをぼきっと折ったこともある。「バイオリンは音楽の命でしょう」と抗議すると「お前に弾かれるくらいなら、バイオリンは壊した方がいい」。確かにそんな弾き方でしたけれど。
 鬼教師というのは特色があります。いい所はきちんと認め、駄目なところはクールに見る、ということです。クールが行き過ぎてニヒリストになってはいけません。クールとは冷静ですから、情熱を冷ましているわけです。
 大久保利通は、身長は180センチもあるのに物静かな人だったそうです。ところがちょっとでもサボっていると見抜く洞察力をもっているから、その人が入ってきただけで、内務省がシーンとなったそうです。また公平な目を持っていました。私的感情と公的感情を分けることができた。
 鬼の経営者として有名なのが松下孝之助さんです。ものすごく怖かったということですが、お客にはお茶を入れてもてなしたといいます。自分のことを「方向指示器付きお茶汲み係」と称したそうです。この会社をどこに持っていくかだけは絶対忘れない。それだけ思って私的感情を抜くことに邁進していたわけです。
 松下孝之助という人は、どこを向いていくかということだけははっきりしていたのです。 怖い上司になるには末端のいいところをきちんと認め、駄目なところをクールにみて、そして部下の能力、仕事ぶりを公平に判断してその可能性を伸ばすために断固として雷を落とせ、ということです。
 ものすごく怖いことで有名な人に吉田松陰がいます。本当に怖かったらしい。しかし雷を落とした後で、後よし効果を使って、弟子の力を伸ばしたといいます。吉田松陰に相対して言われる緒方洪庵は、大阪で適塾を作りました。やさしい人だったといわれますが、成績で席順を決めて、「後ろの席の人は成績の悪い人だ」とはっきり言ったそうです。
みんなそういう鬼的な部分(鬼性)を持っていた。
 その人たちは人を褒めるには、自分自身が他より必ず優秀でなければならないということを知っていたのです。だから弛まぬ努力をしました。
 ワンマンと本当に良い上司の違いは、どこにあるか。ワンマンは伸びない。いい上司というのは自分が伸びようとする。ワンマン上司は人を落とそうとする。

狎れを嫌う

 鬼というのは狎れを徹底して嫌います。親しみすぎて礼を欠くという意味の狎れです。
もっとも有名なのは織田信長と光秀の関係です。
 ある人が信長に任官しないかといわれ、あの人にだけはしたくないと答えた。信長は急に気が変わって、今まで活躍してた人間が左遷されるというところだけを見ていたからです。私のような変人から見ると、信長は変人ではない。信長は狎れた人間を左遷したのだと分析しています。上司と部下の関係で狎れてしまうこと、親しみすぎて礼を欠いてしまうことが嫌だった。
 光秀はどうだったか。丹波攻略を命じられた時、ものすごく手間取り、自分の娘か母を人質に出してやっと城門を開けさせた。だから完勝ではなかった。でも光秀は天才的な頭脳を持っているし、信長もそれを認めていたのです。信長はかつての功績によって漫然と胡座をかいている人物を嫌った。過去の功績により取りたてられ、今老害としているのは信長は徹底して嫌いました。今一所懸命やっている人は信長は真剣に可愛がった。
 甲府城攻めがうまくいったとき、家来代表で、光秀がお祝いを述べました。「これにてわれわれの働いた甲斐がございました、おめでとうございます」。そのとたん、信長の顔色が変わって、鼻血が出るまで光秀をなぐりとばしたといいます。「お前がやったのではない。お前は丹波を攻めた。人質まで出して開城させた。甲府攻めをしたのはあいつらの功績ではないか、それを我々とはどういうことか」と。そういうところまで妥協を許さなかった。そこで怨念が生まれて本能寺の変につながっていくのです。それも信長の不徳のいたすところでしょう。
 本能寺ばかりがクローズアップされて、われわれは見誤りそうになりますが、信長に学ぶべきところは非常に多いのです。信長はできの悪いのは切った。切ってもうまくいく、けれども最期に信長は殺されてしまう。
 その人の性質によって「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」でもいいのです。
 信長のいいところは目標と目的を明確にしたもの、それをしっかりもって勇気と自律心で人を分別していったことです。それを遂行することによって指針となっていくわけです。信長は人を見る目がものすごくあったから、不適切な者を排除した。秀吉は不適切を適切になるまで「人たらし」していった。家康は不適切が適切になるまで待った。


なぜ鬼になれないか

 「鬼」になれないのはなぜか。相手のことを思いすぎてではなく、自分が可愛いからです。今の頭の良い人たちは頭脳の良さを自分のためにしか使わない。みなさんがやさしくなったのも、自分のためにやさしくなっている。本当のやさしさというのは、人にやさしく自分に厳しいというのが大事なのに、今は人に優しく、自分にもやさしい。人に優しくしている方が嫌がられなくてすむから、というのがほとんどです。今の学校の先生もそうです。「やさしくする」と「こびへつらう」と「迎合する」だけ。会社でも部下の評判をやたら気にしている上司はいっぱいいます。部下が嫌がることは非常にいいことだというくらいの挑戦する心を持ちたいものです。

 人の顔色を見て、叱らねばならないときに、叱れない人がいます。
 ここで大事なこととして、叱るという行為は、非常に傷つく行為であることを知ってください。
 今みなさんは傷つきやすくなりすぎています。しかし、PTSDは、カウンセリングでは治らないんです。

 今まで危機に立っていないから、騒いでいるのですが、バブル以前より、今の危機が普通だと言いたい。ここで対処する人格形成をしないといけない。今、「鬼」にならないと知りませんよ。
 「叱るという行為は互いに傷つく行為である」ことを覚えていてください。叱られる側も傷つくんです。叱る側も傷つくんです。あなたはPTSDに入らないくらい強靭な肉体と精神をもたねば駄目なんです。
 人間関係は自己主張と妥協の両方の技術があって初めて良好になるのです。ところが青年の主張をやる奴がいるかと思うと、妥協しか知らない奴がいる。こんな風に二つに分かれていることが現代社会の病魔です。
 社員でも自己主張ばかりする奴を叱ると、こんどはシニシズム・冷笑的虚無に入るんです。妥協ばかりする奴は自分が楽なようにと奸臣になっていく。
 私がお正月にみなさんのところに情報発信したように「賢者は中間を歩み、愚者は極端を走る」わけです。

 「ワンマン」と「鬼」とは全然違います。健気性(けんきせい)を持った人が「鬼」になれるんです。リーダー領域にいることがまず鬼の条件です。
 まずみなさんがやらなければいけないことは揃うということの美しさを従業員に知らしめなければいけない。乱れはきたないということを教えきらなければいけないと思います。
 私たちは自己主張と妥協のなかで生きています。でも絶対に妥協してはいけないのは、揃うということからはずれたときです。その時は鬼となって叱らねばならないのです。たとえば時間に間に合わないこと。それは叱りきらねばならない。そしてバランス感覚、妥協と自己主張のバランスです。このバランス感覚を礼節といいます。ここを逸した時にあなたは鬼になる必要がある。
 その時は傷つけていいと思うんです。人は傷つけられ、そこから回復することによって、成長が生まれると僕は信じています。あなたが相手を傷つけたら、その傷をどのように治していくかというところに指導と成長のバランスがまた保たれるのです。上司がうまく指導すれば部下は必ず成長する。指導方法を間違うと部下はうまく成長しない。成長しない部下がいるということはあなたが成長しなければならないということかもしれない。
 このやり方については千差万別で、ものすごく難しい。けっして許してはならないのは奸臣領域にあるごますり、頭脳明晰で気がつくが動かない奴。なにがあっても我田引水する奴。たとえばバスに乗っていて、席がひとつだけ空いた時、みんなが座りたいと思っている時に座ってしまう奴。日本の美学では人に譲ってあげる謙譲の精神があるはずです。そういうものが奸臣領域にいる奴にはない。
 奸臣を極度に嫌った人間にも弱点がありました。ナポレオンの例です。
 ナポレオンが非常にごますりを嫌ったということを聞いた町の洋服屋がナポレオンになんとか近づこうとして、ナポレオンの部下たちにごまをすって言い寄った。そしてナポレオンの服を採寸するまでになった。そして言いました、「ナポレオン様、私はあなたが大好きです」「俺のどこが好きなのか」「あなたはごまをする人間が大嫌いと言われました、そこが私の経営方針といっしょです」。それ以来、ナポレオンはずっとその洋服屋に注文したそうです。
 指導と成長というのは、社長であっても成長しなければならないということなんです。あなたが指導者となって部下を成長させるということもあるなら、部下が成長しない時、あなた自身が成長しない限り、部下はついてこないのです。
 不良だって扱える奴がいます。たとえば暴走族。うちの親父は保護司をやっていて、暴走族の親分たちに、「君ら、経営者になれ。その手腕があったらできるぞ」と言っています。どんな不良品、粗悪品のような連中でも彼には従っている。このようになにか手立てはあるものです。こちら側の切り口が一つだけだと、失敗して、さきほどの何%という路地に入り込むのではないでしょうか。
 必ず、ある新しいものを作ったら、それより勝るものを作るように心がけてください。あなたが立派であったとしても、裏をかくような人もいるのです。ナポレオンでも裏をかく洋服屋が出てきたのですから…。
 ですから一つのヒントとして、あなたが上司だから、あなたが指導者だと決めつけないことです。上司であっても成長する時期もある。逆にいうと絶え間なく成長している方が部下はついてくる。

 鬼というのは絶え間なく成長していないとばかにされます。



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